このしまにますあまてるみたまじんじゃ
京都市右京区太秦森ヶ東町
通称 蚕ノ社(かいこのやしろ)
■御祭神 天之御中主,大国魂神,穂々出見命,鵜茅葺不合命
木島坐天照御魂神社は
「木島に鎮座する天照御魂神の社」という意味で、
本来は「天照御魂神」を祀る神社ということになります。
この神社の名称になっている天照御魂神とは
一体どういう神なのでしょうか。
火明命(ほあかりのみこと)と言う説、
饒速日命(にぎはやひのみこと)だという説などがあります。
しかしそれだと、神社の由緒書にある御祭神とは違ってきます。
鳥居をくぐった瞬間から、別世界のような神域に入ります。
多くの神社に参拝していますが、それらの神聖さとは違います。
なんとも説明のしようのない「気」が漂う境内です。
通称名である「蚕ノ社」の由来は、
本殿横にある蚕養(こがい)神社。
この太秦一帯は、古代から秦氏が本拠地としたところ。
秦氏一族は、渡来系の技術者集団とも言われています。
服部という氏族(秦氏系)があり、名前や地名として
現在でも残っています。
服部と書いて「はっとり」と読むのは
「機織り(はたおり)」から来ていると言われます。
そしてその「機織り」は「秦氏」が語源だそうです。
絹の原料となるのが蚕の繭。
蚕養神社の存在も、秦氏ならではのものかも知れません。
しかし聖徳太子の時代の秦河勝(はたのかわかつ)以外には、
秦氏は歴史の表舞台には登場していません。
にもかかわらず、相当な影響力を持っていた氏族とも言われます。
その出自同様謎の多い氏族です。
謎と言えば、この神社にも「謎」があります。
元糺の森にある、元糺の池に立つ神秘的な三柱鳥居。
下鴨神社の「糺ノ池」「糺ノ森」の前身であると言われることから、
賀茂氏と秦氏の関係の深さが説かれています。
ここ木島坐天照御魂神社の神紋が「賀茂葵」であることからも、
そのことがうかがえます。
糺す=禊ぎの池は、今では涸れてしまっています。
神秘的な空間です。
私の個人的な感想ですが、
神聖な場所と言うより、排他的な禁断の場所という感じです。
禁断の場所と言えば、気になったのが摂社・稲荷社。
特にこの「白清社」は、古墳の石室を思わせるような場所。
中に入るのがためらわれる雰囲気でした。
実際に入ってみると鳥肌が立ってしまいました。
この神社の南、太秦松本町に天塚古墳があります。
秦氏の有力者の墓と言われる前方後円墳です。
その石室内に「伯清稲荷」があります。
蚕ノ社の境内にあるこの白清社は、
天塚古墳の石室を再現し、伯清稲荷を勧請したものなのでしょうか。
秦氏と稲荷神の関係に興味を引かれます。
(伏見稲荷は秦氏の分家の氏神と言われています)
伯清稲荷の祀られ方や、御祭神が気になるところです。
しかし正直言って、参拝にはあまり気が進みません・・・。
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