福井県小浜市竜前
若狭姫神社と二座・若狭国一宮
■御祭神 若狭彦大神 (彦火火出見尊)
郡名から遠敷明神(おにゅうみょうじん)ともいう。
最初に若狭彦大神が降臨したのは、ここより2kmほど南。
「お水送り」神事が行われる鵜ノ瀬付近から、
715年にこの地に遷座されました。
さらに1.5kmほど北に若狭姫神社を分祀。
延喜式神名帳には「若狭比古神社二座」と書かれています。
社殿前にある基壇は、古代の「式年遷宮」の跡かと思いましたが
倒壊した拝殿のものだそうです。
「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)」は、
神話で有名な山幸彦のことです。
しかし遠敷明神は、漁に夢中になって修二会に遅刻(後述)した神。
はたして御祭神は山幸彦なのでしょうか。
若狭彦大神(遠敷明神)は、たとえば明治の祭神考証により
国家神道の名のもとに古事記に記載された
山幸彦に比定されたのではないでしょうか。
無知な私の個人的想像ではありますが、
いつか宮司さんにお話を伺ってみたいと思っています。
とは言っても、現在はここには社務所がありません。
室町時代頃まではこちらが祭祀の中心だったそうですが、
以降現在に至るまで若狭姫神社の方に移っています。
若狭という地名は、
朝鮮語で「行き来」を意味する「ワカソ」に由来するとも言われます。
古代から朝鮮半島から多くの渡来人がやって来ていたようです。
現代でもこの地では、
狂人的独裁者がいる某国による忌わしい事件がありました。
若狭と半島が航路的にも近いという証拠なのでしょう。
手水舎はなく、代りに自然の湧水を竹筒で境内に引いています。
「甘泉」の看板がありますが、その名の通り甘くておいしい水です。
遠敷川周辺の伏流水は、
東大寺・二月堂の「お水取り」に送られる水なのです。
若狭彦大神が降臨した地には「鵜ノ瀬」があります。
ここは東大寺二月堂の若狭井へと、
地下水脈が通じていると言い伝えられています。
若狭神宮寺の閼伽井戸の水を、ここから奈良に送る神事が「お水送り」です。
そしてその10日後に若狭井に届いた水を汲む儀式が
有名な二月堂の「お水取り」なのです。
その由来を簡単にご紹介します。
天平勝宝4年(714)、東大寺の渡来僧、実忠が二月堂を建立した時、
全国の神々を招いて「修二会(しゅじえ・しゅにえ)」を開きました。
その時、魚釣りに夢中になって若狭の遠敷明神が遅刻をしてしまいました。
そのおわびとして、本尊に供える「お香水」を若狭から送る約束をした。
それが「お水送り」「お水取り」の由来とされています。
実際は、東大寺を開山した良弁(ろうべん)僧正が、
鵜の瀬辺りの出身だったことと、上記実忠も若狭で修行した経験があることに
関係があるのではないでしょうか 。
若狭彦神社の参道は、社殿に向かって一直線になっていません。
何度か角度を変えながら随神門に向かう形になっています。
北野天満宮の参道のように意味深なものではなく、
鎮守の杜にある、杉の大木に関係があるような気がします。
森の主のような2本の大木を、神社では「二の鳥居」と称しています。
そこから角度を変えて「夫婦杉」の前に向かい、
さらに角度を変えて随神門へと通じているのです。
社務所もなく奉仕されている方を見たこともありませんが、
いつ来ても清められた美しい参道です。
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